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東京生活のシナリオ

Scenarios from Tokyo

士設計/個人   完成時間:2022年8月

修士設計には、空間配置などを設計することに限らず、

個人による修士二年間の思いと考えを含める生活に関する提 案を行う。

コロナで日常生活のモードも多少変わってきた。

「在宅生活に飽きてしまい、我々は都市から何を求めるの か」という課題から始まり、

都市要素、自然要素と人の振 る舞いと関係性を研究し、荒川の河川敷を設計の舞台とし、

様々な東京生活のシーンを創出した。

 

設計の基本手法と展開ルールにはベルナール・ チュミさん の本『The Manhattan Transcripts 』 を参考しました。

設計はただの固まれた建築の形を残るだけではなくて、

様々なシーンで構成されたシーケンスを再現したい。

-都市における建物の機能性-

都市の機能性が高い地域には、例えば、丸の内や六本木など、複合施設がいっぱいあるが、

市民たちの都市アクティビティの器になっている。

一見すると、賑やかな都市雰囲気が溢れるように風景がいいと思う。

しかし、よく考えると、こういう場所には、人たちが明確な目的を持たないと、

どこに行くだろうと全くわからないではないでしょうか。

なぜそうになってしまったのかを考える必要があるでしょう。

都市の機能性を向上させつつある一方、機能の可能性 と多様性がどんどん限られてきたことが感じている。

-都市にある人工的な自然要素-
人工的な要素がそもそも存在ではない、人間が作り出したものである。

都市にある人工的な要 素はインフラ、建物、構造物などである。

これと対立する言葉だとすれば自然要素というそもそも存在している要素である。

しかし、都 市にある自然要素が大体人の手が加えている状態になってしまうので、人工的な自然要素と呼ばれる。

要するに、 都市には完全的に自然といえるものがほとんどないということが成立する。 

-水辺空間について-
中国の北京に住んできた私は、水辺空間にいる機会なかなか少ない。

東京の堀空間と似ている空間があるけど、水の存在感が弱いし、水空間の雰囲気が感じられない。

水空間に限らず、森や山など自然空気が都市に消えてきた気がする。

同じように、東京は水の都と呼ばれていた、という時期がある。

今が「水の都」という雰囲気を感じることができなくなる。

都市が無限に成長していて、周りの村、自然などのものたちを全て奪っている。

このような都市に住むことが息苦しいし、一時的に逃げることもできない。
OMAの成立者コールハースは卒業設計「エクソダス、あるいは建築の自発的囚人」の中で

都市化と都市から逃げることなど刺激な案を挑戦した。 

-『The Manhattan Transcripts』から-
設計の基本手法と展開ルールにはベルナール・ チュミさんの本『The Manhattan Transcripts 』 を参考した。

設計はただの固まれた建築の 形を残るだけではなくて、様々なシーンとシー ンによって構成されたシーケンスを再現したい。

先に何が起こった次は何が起こるっていう時間前後で簡単に整理整頓ではなくて、

事物が空間的にもつながっていて、同時に進行する様子も描写する。

ある意味で、モンター ジュを使って映画を作るようになる。

The Manhattan Transcripts の設計原則は事物、

人と活動の中でそもそも存在している矛盾するところを越えって新 しい秩序まで連れて行くわ けではない。

逆に、この矛盾性を保つままで設 計を展開する。

-『The Manhattan Transcripts』を-
荒川のような川を思い付くと、どんなイメージ が浮かぶのか。

まず、水が清く川底の石が透きとおってみえる様 子、

たいらな広い土手に野球をする少年たちが無邪気に叫んだり笑ったり光景波が立たない、

鏡にように空を反射 する風景など日常場面てがある。

次は、ちょっと色が暗くなって重苦しい雰囲気 が付けられる風景である。

既成した何かから打ち崩したい気分、耐えられない逃げたい瞬間とか、うつうつとする気持ちとか、

こういう時にも、荒川の川縁にかけこみたい。

さらに、何か悪いことをしたら、だれでも言えないことがあれば、

夜の荒川に会いに行く。

荒川の夜景を見ると、恐怖感と自分の小ささを感じられる。

自分が堂々として生 きているのかって無意識に反省してしまう。

その三つの段階はそれぞれ、

「Arakawa Transcripts のように名前を付けて、 各の物語りを企画することになった。

-水辺空間-

-荒川空間-

-敷地選定-

荒川の河川敷における日常のふるまい

荒川沿空間にそもそもある活動の中、

最も多いのは運動するや散歩する、 シャリを乗る、野球をする少年、釣り、ピクニック、

小学校の教育活動、草刈りとゴミ拾い など環境保護活動もよくある。

花火大会、ホームレスな人たちなど、さまざまな行為が荒川空間に絡ませている。

​『The Manhattan Transcripts』

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Tschumi Bernard

​『The Manhattan Transcripts』

 『The Manhattan Transcripts』は、現実のプロジェクトでも なく、単なる空想でもないという点で、多くの建築のドロー イングとは異なっています。70年代後半に開発されたこの作 品は、現実を建築的に解釈して書き写すことを提案した。こ の目的のために、彼らは、出来事を指示するか「目撃」する 写真(ある者は「機能」と呼び、別の者は「プログラム」と 呼ぶ)を含む特殊な構造を採用した。同時に、平面図、断面 図、ダイアグラムが空間の輪郭を描き、建築の「舞台装置」 に入り込んださまざまな主人公の動きを示している。 Transcriptsの明確な目的は、従来の建築表現から切り離され たもの、すなわち空間とその使用、セットと脚本、「タイ プ」と「プログラム」、オブジェクトとイベントとの間の複 雑な関係を書き写すことであった。その暗黙の目的は、20世 紀の都市に関わることであった。
 『The Manhattan Transcripts』の支配的なテーマは、用途、 形式、社会的価値の間の一連の断絶であり、意味と存在、動 きと空間、人間と物体の間の非同調は、この作品の出発条件 であった。しかし、これらの用語の必然的な対立は、広範囲 に及ぶ結果を生み出した。トランスクリプトは、空間、運 動、事象が独立しながらも、互いに新しい関係性を持ち、従 来の建築の構成要素を分解し、異なる軸で再構築するとい う、建築の別の読み方を提示することを目指した。 

 『The Manhattan Transcripts』に使用されたプログラムは最 も極端な性質のものであるが、最も一般的な公式プロットで ある殺人という原型とも並行している。その他のファンタズ ムは、おそらくすべての建築が、機能的な基準についてとい うよりも、愛と死についてであるという事実を強調するため に、時折使われたのである。使用とプログラムという従来の 定義を超えることで、『トランスクリプト』はその暫定的な フォーマットを使って、ありそうもない対立を探ったのであ る。 

​『Arakawa Transcripts』

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me

​『Arakawa Transcripts』

私にとって、荒川の土手はいつでも駆け込めて癒されられる 気晴らし空間である。

ランニングや散歩、シャリを乗ってピクニックに行ったり、

本を読みながら課題を考えったり、雨の日には水を鑑賞や川 を見てぼんやりしているなど。

ここに休憩室やトイレなど必要とする空間しかを望んていな いではないということを気ついた。 日常や非日常なこと、明るいことと暗いことなど、

東京生活に関する全てのことはここに描写されたいだ。

ヘテロトピアみたいな空想な空間でも、

東京生活の特別性を 保つ空間を視覚的に演出すれば、

それだけでいい。 

Chapter 01

Chapter 02

Chapter 03

Chapter 01 Spaces

Chapter 01 Spaces

Chapter 02 Spaces

Chapter 02 Spaces

Chapter 02 Spaces

Chapter 03 Spaces

Chapter 03 Spaces

Chapter 03 Spaces

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